中大槻酒造場

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酒造りに適するとされる竹田川の水域には酒造場がいくつか見受けられます。

その中で中大槻酒造は徳川の時代からそのお酒を多くの人に愛され、現在の場所に移転したのが明治5年、ご主人の大槻昭さんは4代目です。
しっかりとした足腰、すらりと伸びた背筋、力強い語り口から溌剌とした雰囲気を感じられますが、なんと御年87歳。
20歳は若く見えるご主人の元気さにまず驚かされました。

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昭さんが酒造りを始めたのが昭和35年。

それまでは大阪で繊維業にかかわられていましたが、先代が急逝したことで急きょ、後を継ぐことになりました。
「右も左もわからない状態で様々な人たちに教えてもらいながら」酒屋の仕事を続けてこられました。

「若いころはいろいろなことに挑戦しました。最近はとにかく安全で、みなさんが『飲みやすい酒やな、飽きのこない酒やな』と思ってもらえるような嫌みのないお酒を造ろうというようにこだわっています」

今はおひとりで酒造を切り盛りされているという昭さん。
その意欲の源には伝統をつないでいきたいという思いがあります。

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「最近は若い人はアルコール飲料の摂取をしないような社会になっています。しかし飲み物としてはこれほど味の複雑な飲み物はございません。これは日本独特で、世界中探してもこれほどに多種多様な飲み物はございませんので、日本の伝統的な味を残していきたいと考えています。日本酒という飲み物は不思議なんですよ、昔なんか蒸米を石炭でやっていました。『いらち』の人はいらいらっとした蒸米になるんですよ。穏やかな人格の人は穏やかな酒を造りますし、きっちりした人はきっちりした酒を造ります。その辺にいわゆる『酒造りの妙』が生まれてくるんですよ」

また以前は青竹での櫂でもろみを混ぜていたようですが、そのお酒には青竹の香りが感じられます。
それほど繊細な飲み物で味が深い飲み物はありませんよ。」とにっこり微笑まれます。

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それにしても、長きにわたりお酒を愛され、酒造場が続いてきた理由はいったいなんでしょうか。

「昔からのしきたり、祝い事やお悔みごとのお供がお酒でした。それがあるから悲しみを抑えたり、喜びを強くしたり、そんな糧になっていたのがお酒です。またそのような場で、市島の4軒の酒造場それぞれのお酒を飲み比べて、あっちがどうだと言い合ったりして盛り上がる。それぞれ水も違う、空気の中にいる酵母も違う、ですから味はそれぞれに違うし好き嫌いも違う。近くに4軒酒造場があっても、こんな風に飲む場があったのでみんなで続いてこれたと思っています。」

お酒を取り巻く時代の流れを生きてきた昭さんが、今の社会に思うことをお聞きしました。

「ともかく今の社会状況、スマホや携帯があることで自分の殻の中に閉じこもって孤立してしまう、友達がいなくてグループにも所属しない人が増えています。友達やグループがあればお酒を飲む場もありますが、そういう機会が少なくなっていることも酒離れの一因だと思います。昔ながらの家族ならではの、ちゃぶ台を囲んで食事をするような時代だったら閉じこもらなくて済みます。以前は先輩とお酒を飲みながら仕事や、昔の社会のことを教えこまれてきたわけです。また、お酒の場で仲良くなった人と取引が成り立って商売を続けることもできました。今はそのような、年寄りから若い人へ何かを伝える機会も減っていますし、酒の場がどうしても少なくなってくるわけです」

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人と人との縁をつなぐために、仲良くなってもらうためにお酒を造っているのだと昭さんは語ります。

お酒を飲んで喧嘩をしている人たちを「うちのお酒は飲んで喧嘩するために造ってるんじゃない」と一喝したこともあるのだそうです。

中大槻酒造場では阪神間からも足を運ぶ人が絶えません。

特に人気が高いのは純米酒の「玉の水」。

一年分のお酒を造ったはずが、品切れになってしまうこともあるそうです。

古くから今まで多くの人たちの縁をつないできたさりげないお酒。

今日もどこかで誰かが誰かと楽しむための潤滑油になっているかもしれません。



大槻昭 | 中大槻酒造場
<INFORMATION>
電話番号/ 078-393-1831
兵庫県丹波市市島町中竹田908-1
営業時間/ 8:00〜19:00
定休日/ なし
駐車場/ なし
クレジットカード/ 不可

interview / writing : asako saiki